オーストラリアでの大学進学。自分のトラウマと向き合ったカンボジア孤児院ボランティア。人生は予想できない。

【Vol.12-2 クロマーツアーズ 代表 西村清志郎氏 キャリア編】

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高知県出身、カンボジア関連書籍出版のほか、旅行会社、ゲストハウス、レストランなどを運営。高知県では「はりまや橋ゲストハウス」を運営中。ライター・フォトグラファーで、執筆、撮影業務なども行っている西村さんの後悔をしない人生の歩みや考え方をまとめました。

《クロマーツアーズ 代表 西村清志郎氏 インタビュー記事一覧》

  1. キャリア編 会社に入社して3年目。「自分はスノーボードが好き。よしプロになろう!」と思い立ち、北海道、ニュージーランドへ。 
  2. キャリア編 オーストラリアでの大学進学。自分のトラウマと向き合ったカンボジア孤児院ボランティア。人生は予想できない。 ←今ここ
  3. 学生にむけて編 全てのビジネスは人。どの「じんざい」がチームに加わるか、存在するかによって会社は変わる。4つの「じんざい」あなたはどれに当てはまりますか?
  4. 学生にむけて編 あなたのことをきちんと知ろうとしてくれる人なんか、世の中そんなにいない。学生インターンの受け入れを何年もされている西村さんが語る、働くのに必要な心構え。

人生は予想できない。ひょんなことからオーストラリアで長期滞在。

西村さん:ニュージーランドの次は、オーストラリアのシドニーに入ったんだけど、「南に行くと勉強、北に行くと楽しいライフが待ってるぞ」という話を聞いていて、どっちに行くか悩んだ末、南に降りたのね。その道中でたまたま知り合った日本人と一緒にロッククライミングに行くことになって、メルボルンに到着してからみんなでレンタカーを借りたんだけど、そこですぐ当て逃げをされて(笑)一緒に行った人たちはみんなビザ切れで先に帰ることになったから、その事後処理のために、僕だけ残らなくてはいけなくなってしまって…。いつ終わるか分からないから、アパート借りて住むことにしたんだよね。結局、事故処理は2ヶ月くらいで終わったんだけど、その間に現地の学校に行きだしたから、そのままいることになったんです。

どうせ英語を勉強するんなら、語学学校に行くよりもカレッジで経済学を学ぶほうが深いかなと思って、そちらを選びました。で、空いている時間はインドアジムでクライミング、生活費のために夜はバイトをするっていう日々を4年間送って…。学生ビザが切れた時ちょうど30歳だったから、「そろそろ人生考えないといけないぞ」「日本に帰ってまっとうな生活しなきゃな」って思ったんだよね。日本で何するかは決めていなかったけれど、クライミングで生きていけるかなとは漠然と感じていて。ちなみにオーストラリアを出る前のメルボルン大会では、たまたま優勝できたくらい、クライミングは本気でやっていました。

尾崎:なぜ経済学を専攻されたのですか?

西村さん一番簡単に入れたから。あと海外で法律学んでも意味がないし、将来的に何がやりたいの?って言われたときに経済学って一番汎用性があるなって。でも同時に一番使えない学科なんだよね。おぼろげすぎて。
高校の時、ぼんやりなりたいなと考えていたのが政治家で、でも実際は全然関係ないことばっかり学んでるのね。政治家は法学部に入ればなれるものじゃなくてさ、何かで成功したりして、最終的に人心掌握ができればなれるんじゃないかなーと思ったりして。そのための行程っていろんな角度があるから、それまで回り道もいいじゃんと思っていて。今でもその気持ちはあるけど、そのための活動は何もしていない。そのうちなにかのタイミングでなれたらいいなーって思ってる。質問の答えとは全く違うけどね。

子供が嫌い。その理由を知るためにカンボジアの孤児院へ。

尾崎:オーストラリアの後、カンボジアに行かれたそうですが、それはどうしてですか?

西村さん:オーストラリアの段階で30歳を過ぎたっていうのがポイントで、当時は今と違って求人の時に年齢制限があったのね。30歳っていうのがちょうど区切りで、次は32歳。逆にいえば32歳まで遊べると思ったんですよね。ちょうどその時、カンボジアの孤児院でボランティアをしていた友人から代理で来てくれないかって誘われて。僕はボランティアには興味はなかったんだけど、孤児院には興味があったのね。理由は子どもが嫌いだったから。それはなんでだろうと自分自身不思議に思っていて、孤児院にいけばその答えがわかるんじゃないかって思って。そういう理由でカンボジアの孤児院ボランティアに行ったのね。セルフリハビリみたいな意識で。

結局わかったのが、僕は子どもが嫌いというわけではなくて、泣く子が嫌いだったんだよね。正確に言うと、明確な答えを出さずに泣く子どもと、なんで泣いているのかをきちんと伝えられない子どもが嫌いと気づいたんだよね。で、考えてみると、自分の幼少期の記憶にたどりついて。当時小学生1,2年頃だったと思うんだけど、家族でレストランに行ったときにカレーが500円で、レストランの入り口に売っていたウルトラマンの人形も500円だった。僕は人形がほしくて、カレーは食べたくはなかった。ただそれを親に言い出しづらかったっていうのがあって、その時にぐずって泣いて、家族みんなに迷惑をかけた記憶があるのね。その時に泣かずに明確に伝えられていたら違った答えがあったんじゃないかと。自分の気持ちを伝えられなくて泣いてしまった、その自分に怒っていた。この経験から泣く子どもや意思を伝えられない人(当時の自分)を嫌いになっていたっていうのがわかったんだよね。

元々そのボランティア期間は6ヶ月の予定だったんだけど、3ヶ月目くらいに孤児院の子どもにお金を盗まれて、ヤバいなーと。ボランティアはアパートや食費、事業で使う教材費も全部自費だったから、このままじゃ生活が続かないから、どこかで働こうと思って(笑)当時はインターネットはまだまだ一般的な時代じゃなくて、コンビニに貼ってあった日本人アルバイト募集のチラシに電話したり、地球の歩き方に出ている日系旅行会社に片っ端から履歴書を持ち込んだり…。

結果、現地の日系旅行会社に採用されて、そこでガイドとして1年くらい働いたのかな。その後はその会社でオフィス勤務となったんだけど、自分は旅行手配業務が苦手だとはっきり分かったんだよね。旅行会社はルーティーンワークや緻密な作業が必要なんだけど、性格が雑だから頻繁にポカミスをやらかして、この仕事向いてないなーって思ったんだよね。で、手配業務はやりたくないから、じゃー自分で新しい仕事をつくろうと思って、いろんなツアーを勝手に企画して上司に提出したりして、事業自体を提案して新しい部署をつくったのね。会社からすると身勝手な変な社員だったんだろうけど。それが今僕がやってる「クロマーツアーズ」と、この前まで発行されていた「クロマーマガジン」がスタートしたきっかけ。

その旅行会社のトップがカンボジア人っていうのもあって、会社の中に会社をつくるのは全然OKで、共同出資にすることもできたんだよね。僕がつくってきた新しい部署や事業のいくつかは、僕と会社と50:50の出資率でやっていたりしたから、その会社を辞めても、権利は残った感じ。結局最終的に、一部の事業に関しては、完全に買い取ったり、退職金代わりにもらったり、株を半分ずつ保有したりってそういう風に今も続けています。

つづき!

全てのビジネスは人。どの「じんざい」がチームに加わるか、存在するかによって会社は変わる。4つの「じんざい」あなたはどれに当てはまりますか?

 西村清志郎氏 キャリア編より

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