変化の時代とチャレンジしたいと思った自分。学生時代に味わった二度の経験が、香港での起業へと導く。

【Vol.9-1 YNZ Holdings Ltd./Sanitec (HK) Co.,Ltd. CEO Founder 山本浩一氏 キャリア編】

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MYGOAL 第9回目のインタビューは、YNZ Holdings Ltd./Sanitec(HK)Co.,Ltd. CEO Founder 山本浩一氏。

香港滞在歴30年以上。外食事業、食品衛生検査サービス、貿易業・・と幅広い事業をされている山本さん。学生時代に経験した二度の挫折から、人と戦うのでなく自分で道を切り開いていく選択をされ、当時勤められていた会社を退職。そして香港へ。

山本さんが築いてこられたキャリアについて、そして私たち学生にむけてアツい言葉をたくさんいただいたので、ぜひ読んでください!!

《YNZ Holdings Ltd./Sanitec (HK) Co.,Ltd. CEO Founder 山本浩一氏 インタビュー記事一覧》

  1. キャリア編 変化の時代とチャレンジしたいと思った自分。学生時代に味わった二度の経験が、香港での起業へと導く。 ←今ココ 
  2. 学生にむけて編 何をしていいのかわからない日本の学生に、山本さんが伝えたい、進路を決めるのに大事にすべき「たった一つの要素」とは? 

挫折を二度味わった学生生活。

エイミー:どんな学生生活をすごされていましたか?

山本さん:小学校の卒業文集には、「甲子園に行ってジャイアンツの選手になるのが夢だ」と書いたんですけど、中学に入っての一ヶ月後には野球部を辞めていました。中学の野球部は「絶対レギュラーにはなれない・・」というくらいレベルの高いチームだったので・・。そこで自分の人生を見失いました。これが一つ目の挫折でした。

高校の時は、数学や理科系の教科が好きで「建築家になりたい」という夢を持ちました。でも建築家になるために一級建築士の免許をとったとしても、大手の建築メーカーに入って、現場の仕事からやってね、結局サラリーマンになるわけですよね。「そういう進路ってどうなんだろう・・」と迷いながらも理系のクラスに入って勉強していました。しかし大学三年生になって、受験は私立の文科系を受けるまでに成績が落ちてしまって。それで第一志望ではない大学に入ることになったんです。これが二度の挫折ですね。挫折から始まった大学生活だったんです。

はっきりした目的意識もなくモラトリアムを生きているのは、嫌だった。

エイミー:二度の挫折を経験されての大学生だったのですね。大学生活はどのように過ごされたのですか?

山本さん:ヨットに全力を注ぎました。例えば、司法試験を受ける、国家公務員になる、ってそういう目的を持って大学生活を過ごす学生もいると思うんですけど、大体の私立の学生は無目的に生きてますよね。当時、新聞でモラトリアムってすごく取り上げられていたんですけど、僕ははっきりした目的意識もなく、そのモラトリアムを生きるのは嫌だったんです。そんな中、ヨットに出会って。ヨットの競技というのは、高校チャンピオンが大学チャンピオンになれるわけではなく、大学から始めてもトップレベルまで行けるスポーツなんです。大学卒業の2年後にロサンゼルスオリンピックが控えていて、そのオリンピックの候補生に選ばれるほどの結果を残しました。ただ僕は「ヨットは十分やりきった」と思ったので辞退し、その後は次なるステージへと、就職活動に力を入れました。

エイミー:その後の進路はどう進まれたのですか?

山本さん:建設機械メーカーに入社し、そこで営業の仕事を3年半しました。楽しかったですよ。上司が上と戦って下を見ながら仕事を進める、本当に素晴らしい人だったんです。しかしその上司は上から目をつけられて、途中で他の課に異動になってしまったんです。代わりに来た新しい課長が下を切り捨て、上についていく人で。悪い言い方なんですけどね、あまりにもはっきりとそれが見えてしまって「ああ社会人の世界ってこうなんだ・・」と、一気に仕事のモチベーションが下がっていったんです。

時代が変わる時。

山本さんダラダラと日々を過ごしていくうちに、東京から来ていた先輩たちが次々に転職するのを目にするようになって。時代が変わる時だったんです。リース業に注目が集まり、大手の銀行、もしくは日立や東芝といった大手のメーカーがリース業を始めるようになって。リース業は金融業なので、銀行員を引き抜いていて。それを見て「銀行も転職の時代か、これから世の中が大きく変わるな」と思ったんですね。 そうやってリース業が盛んになると同時に、時代はコンピューターになっていくんです。コンピューターが普及し、ベンチャービジネスが世の中に生まれ始め、世の中がどんどん変わっていく。そんな流れがきていました。

エイミー:変化の時だったんですね。そこから山本さんはどう動かれたのですか?

山本さん:僕の人生のキーパーソンに同級生の兄がいるんです。彼は大学を卒業してリクルートに入って1年で辞めて、実家の家具屋を継ぎに地元の銚子に帰ってきていて。年末の休みに里帰りした時に、その彼と会っていたんですけど、家具屋以外にPCスクールを始めたりと新しいビジネスもしていて。彼に「これからはベンチャービジネスだよ。山ちゃん一緒にやろうよ」と誘われたんです。

でも今と違って、転職したり、会社を辞めるなんてのは、ありえない時代だったんですよ。でも自分の将来を考えた時に「40歳過ぎて課長、50歳になって支店長か部長。そこから役員になるとしたら・・周りにはいっぱい優秀な人がいて、その中で勝たないといけない。これって大変だなあ」と思って。僕は人と戦う中での挫折を2回経験しているので「だったら自分でチャレンジしたい!」と思ったんです。

香港には絶対なにか面白いものがある。

山本さん:ちょうどその頃、世界では鄧小平とサッチャーが調印して、香港返還という話題が上がっていました。鄧小平も中国の経済を発展させなきゃいけないということで、香港と深センを含めた経済特区をつくっていたりして、「これからはアジアの時代だ」と言われていたんです。アジアがホットなのは、今もですけどね。それで「アジアに行ってみよう!」と香港とシンガポールを見に来たんです。 香港に来て、僕すごく香港が気に入っちゃったんですよ。ネイザンロードを歩いているだけでワクワクしましたし、香港には絶対なんか面白いものがあると直感で感じました。とにかくすごくこの街が好きになっている自分がいて、「よし、ベンチャービジネスをやろう!」と会社を辞めました。

当然、親は猛反対ですし、親戚は頭がおかしくなったんじゃないかと・・。会社を辞める時が一番大変でしたね。本社から人が来て留められますし。「地元に戻って、親戚の会社を手伝います」と嘘を言って辞めました。

何をやるかまだ決まっていないのに、資本金が集まった。

山本さん:僕を誘ってくれた友達の兄は銚子でPCスクールを始めて、近隣の会社にPCを売ることも始めていたんですね。PCを売る時に、会社の社長さんと会うわけで、「お前ら面白いな」って気に入られて。そういう風に人脈があったんですけど、その社長さん方から「会社辞めて香港でなにかやるんだったら、みんなでお金を出してあげよう」って。何をやるかまだ決まっていないのに、資本金が集まったんです。

当時、香港にはまだコーヒーショップがなく、「日本で成長過程にあるドトールコーヒーを香港でやったら儲かるのでは?」と思って、ドイツからコーヒーマシンを入れて、コーヒーショップのノウハウを学び、香港で会社をつくりました。ビザを取って、香港に渡って、一人で市場調査をしていたんですけど、これが微妙だったんです。「香港人コーヒー飲まないなあ」と。カフェの需要のなさにだんだん気付いていくんですよね。

香港で大人気店のラーメン店「横綱」誕生秘話。

山本さん:そんな時に学生の時から知り合っていた王さんと香港で再会したんです。王さんは、お父さんが外省人の台湾生まれの台湾育ちの方で、台湾の師範学校を卒業した後、慶應の工学部に進まれて、麻雀でお金を稼いで学費を稼いでいた、というクレイジーな方で。王さんは大学卒業後、香港で独立されていたんですよ。王さんにコーヒー屋の相談をしたところ、「香港では難しいだろう」と言われて。それで「ラーメン屋だったら、僕も出資してあげるよ。事務所はうちの場所を使ってくれていいから」と言われたんです。それが始まりなんです。王さんの助言があってラーメン屋を始めることになって、今日に至っているんですね。

王さんがいなかったら、どこかで挫折して日本でなんか安易な人生送っていたのかな、と思います。

つづき!

学生にむけて編 何をしていいのかわからない日本の学生に、山本さんが伝えたい、進路を決めるのに大事にすべき「たった一つの要素」とは? 

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