カンボジアの素晴らしい伝統が失われようとしていた現実。何もなかった荒地を開墾し、耕し、木を植え、0から豊かな森をつくる。「伝統の森」の軌跡。

【Vol.7-2 伝統の森 IKTT 森本喜久男氏 キャリア編】

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MYGOAL 第7回目のインタビューは、伝統の森 IKTT 森本喜久男氏。

内戦で失われかけた、カンボジアの伝統の織物の復興のために、20年以上尽力されている森本さん。人と自然が共生する伝統の森。100年の伝統を甦らせた布。なにもない荒地から、豊かな森を育てあげた森本さんのキャリア、そして太く鋭い志をお聞かせいただきました。

《伝統の森 IKTT 森本喜久男氏 インタビュー記事一覧》

  1. キャリア編 いじめから逃げるため家出した先にあった、一人の人間としての自我の目覚め。家族が解体されて、雇用制度が解体されて、不安定になった日本を生きる私たち。 
  2. キャリア編 カンボジアの素晴らしい伝統が失われようとしていた現実。何もなかった荒地を開墾し、耕し、木を植え、0から豊かな森をつくる。「伝統の森」の軌跡。←今ココ
  3. 学生にむけて編 すべてのものは「人」がいて生まれる。五感が退化している現代人が、本当にやりたいことを見つけるためにすべきこと。

20歳。ベトナム戦争反対デモと自分の生活。

エイミー:関東で数年間お仕事をされてから京都に戻られたとのことですが、ここにはどういった経緯があったんですか?

森本さん:日本電信電話公社、今でいうNTTに勤めていたとき、ベトナム戦争を反対するデモがあって僕も参加していたのね。当時は1960年代で、ベトナム戦争反対の10.21の大きなデモがあったのね。会社の上司に「デモに行ってはダメだ」って言われていたんだけど、僕は会社を休んでデモに行った。そしたら次の日、上司に20人くらい囲まれて「どうしてお前行ったんだ」って言われて、僕は「言論の自由があるんだ」って主張したけど「それは憲法の言論の自由で、電電公社には電電公社の憲法がある」と。それで強制的に辞職願いを書かされて、会社をクビになったんだよね。

その後は、川崎にある製鉄所で働いていたんだけど、僕はデモに行ってたでしょ。デモの仲間は捕まっていて留置所や拘置所に入っていて、僕はその人たちに差し入れを届ける仕事、救援活動をしていて、警察から目をつけられていたのね。毎日、僕が家から出るのを外で待っていて、どこまでもついてくる。毎日僕の後をついて歩くのね。だから街角を突然角で消えたり、電車に乗り換えるフリして乗らなかったりして逃げてたんだけど、それが精神的にやっぱりきたんだよね。それで自律神経失調症になって、京都に戻ってきたの。それが20歳の時。

織物の復興のため「伝統の森」をつくるに至った経緯。

エイミー:すごい目紛しい人生ですね・・それにまだ20歳の時のお話なんですね。京都に戻られた後はどんな生活を送られたんですか?

森本さん京都に移ってからは、手描き友禅の職人に弟子入りして。そこではずっと個人で絵筆をやっていたことが生きたね。そこで10年間。30歳になった時には自分の工房もあって、弟子もいたんだけど、このまま京都で友禅職人をやっていくことに漠然と疑問を感じるようになって。

そんな時にタイに行く機会があったんだよね。そこでクメール織物に出逢って、その美しさに魅了された。それで日本の工房をたたんでタイに行くことにした。それからタイでは10年間布関連の仕事をしていたんだけど、ある日、東南アジアの布の調査をしているアメリカの団体からインタビューを受けて、それがきっかけで彼らの調査を手伝うようになった。それが縁でカンボジアのユネスコとも知り合って、僕もカンボジアの織物をみるようになって。そしたら、色んなことがわかってきたんだよね。僕はプロだからね。ユネスコの人も調査をやっているけど、織物のプロではないから見えないポイントっていうのがある。でも僕はそういうのがわかる。それで、ユネスコの人たちにカンボジアの織物を調査してほしいと頼まれて、それがきっかけでタイからカンボジアに移ってきた。

そうしてカンボジアに来て、歴史や技術的なものの調査研究をずっとやってくる中で、気づいたことがあって。それは織物をやっていた村には全てがあった、ということ。綿の木があったり、桑の木があったり、染めるための木や植物全てが村にはある。そして、その村の人が糸を作って染めて織る。いい織物はそういった環境で作られていた。

昔のカンボジアには素晴らしい織物があった。でも、それが失われようとしていた現実があった。当時のカンボジアの人って「今日食べれられればそれでいい」だから、考えが未来に向かないでしょ。でも僕は日本人だから未来を見ることができる。だから調査の中で得た結論、確信を再現しようと、10、20年後を想定して、カンボジアの織物の復興のためにこの伝統の森を始めたのさ。

大変なことや問題があるから、仕事がある。

エイミー:調査で生まれた結論、確信を、カタチある伝統の森としてつくっていかれる中で、大変なことはありましたか?

森本さん:僕は大変なことや問題があるから仕事があると考えていて。そういった問題がなくなったらやることがなくなっちゃうでしょ。それに僕は自分の好きなこと、やりたいことをやってきているから、そこに苦労はないんだよね。大変なことがあっても、自分のやりたいことを実現することの一部だから耐えられる。なんでもそうだけど、嫌々やっていることとか、誰かに言われてやることは、自分でやりたいことではないでしょ。それはやれない。だから、本当に自分のやりたいことを見つけることが大事だよ。

何もなかった荒地開墾して、耕して、木を植えて、森をつくる。

エイミー:今ワクワクしていることは何ですか?

森本さん自然っていうのはね、皆「普通にあるもんだ」って勝手に思っているけど、昔の人が育ててきた歴史がある。自然っているのは面白くて、人間が入って初めて森は生き生きする。ほったらかしていたら森は元気がなくなる。今ここから見えている大きな木があるでしょ。あれは全部、僕が種から植えたんだよね。ここは12、3年前は何もなかった荒地で。開墾して、耕して、木を植えて、今の森になった。本当に森っていうのはつくれるんだよね。そういうことがワクワクすることかな。

日本にも、もちろん山林の歴史があって、山を丸裸に伐採して、日本の場合は単一林って杉の木を植えたりして、もう一度山を再生していった。日本だと明治時代にそういうことして。それが今100年くらい経って、大きく森が育ってきた。日本にもそういうことを仕事にして、森に入って暮らしていた人がいた。法令が変わってしまってからは、そういう人は森に住めなくなったけど、第二時世界大戦後まではずっとそういう人たちがいたんだけどね。「サンカ」っていう人が居たんだよね。そういう人たちによって森は支えられてきたんだよね。

つづき!

すべてのものは「人」がいて生まれる。五感が退化している現代人が、本当にやりたいことを見つけるために森本さんが勧めることとは?

すべての出来事は、常に変化していく。でも人間っていうのは逆で、この状態でいたいって思いがあるでしょ。でもそれは、はかない。そんなのないのさ。いつも変化しているんだから。僕はよく言うんだけど、伝統っていうのは守るんじゃなくてつくるもの。同じ伝統っていうのはない。伝統も常に変化してここにある。

伝統の森 IKTT 森本喜久男氏 学生にむけて編より

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