日本と世界を橋渡しできる人材が絶対に必要。橋渡しできるには一回現地に振りきらなければいけない。

【Vol.5-1 BuzzElement CEO 廣瀬肇氏 キャリア編】

MYGOAL 第5回目のインタビューは、BuzzElement CEO 廣瀬肇氏。

高校卒業後、単身でアメリカへ留学。高校の時に抱いた「アメリカ、中国、ヨーロッパで働く」という夢を果たした後、起業の地に選んだのはマレーシア。

海外生活22年に渡って、世界で時代の最先端で勝負してこられた廣瀬さん。そんな広い世界を見てこられた廣瀬さんのキャリアについて、そして私たち学生にむけてのアツい言葉をたくさんいただいたので、ぜひ読んでください!!

《BuzzElement CEO 廣瀬肇氏 インタビュー記事一覧》

  1. キャリア編 日本と世界を橋渡しできる人材が絶対に必要。橋渡しできるには一回現地に振りきらなければいけない。←今ココ
  2. キャリア編 アジアのプレゼンス、教育、人脈を息子たちに与えたいし、自分もここで勝負をしてみたいと思った。 
  3. 学生にむけて編 アメリカと日本の就活のちがい。なぜアメリカの学生は自分のやりたいことを見つけられるのか。 
  4. 学生にむけて編 世界の転換期。失敗から飛びぬけるようなアイディアをつくる。そのための「自由」と「責任」。 

面白いことをしたかった。日本だけでなく世界を見たかった。

エイミー:どんな学生生活をすごされていましたか?

廣瀬さん:東京で生まれ、横浜で育ち、18歳までは日本の学校にいました。高校卒業して1週間後には一人アメリカに飛びました。それまで海外にいったことも飛行機に乗ったこともなかったんですけど(笑)それからもうずっと23年くらい海外です。

エイミー:今、高校卒業後に海外進学する人がほんの少し増えてきていて・・でも廣瀬さんの頃は、海外進学する人はそんなにいなかったんじゃないかな、と思うんです。

廣瀬さん:そうですね。僕の頃は留学のしくみ自体が整っていなくて「海外の大学を卒業しても大卒と認められない」とおどされたりもしました。僕の周りで、海外進学する人はいなかったですね。

でも、僕は面白いことをしたかった日本だけではなく世界を見たかったので、迷いなくアメリカに行きました。でも行く前は全然英語を話せなかったんですよ(笑)ただ元々シャイな方ではなかったので、自分で英語の質問リストをつくって、それを持って朝のスーパーマーケットに行くんです。朝7時とかに行くと暇なおばあちゃんが結構いて、質問リストをつかって話しかけるといい話し相手になってくれるんです。

最初の1年はESLという英語を学ぶ学校に入って、そこでTOEFLの点数を取ってからアメリカの大学に進学しました。

日本語はもちろん喋らないし、日本食も食べない。ローカルのひとと一緒にすごすことを意識したアメリカでの学生生活。

エイミー:そもそもアメリカに興味を持たれたのは、何がきっかけだったのしょうか?

廣瀬さん:小さい時アメリカかぶれというか、アメカジにはまっていて、ジーンズを集めたり、靴を集めたり、音楽も邦楽よりも洋楽ばかり聞いていたんですね。アメリカのファッション・文化に興味をもったのが、最初のきっかけなのかなと思います。

エイミー:アメリカでの大学生活はどうすごされたんですか?

廣瀬さんぬるま湯に使ってはいけないと思っていて。せっかく留学しているのに日本人同士でかたまってしまって、全然現地のひとと交流しない日本人が多くいたんですね。そういう人たちって伸びてないわけですよ。10年経っても英語が話せないし、アメリカの友達もいないし、日本食ばかり食べて現地の文化を何も理解していないと。僕はそういうのが嫌で、日本語はもちろん喋らないし、日本食も食べないし、ローカルのひとと一緒にすごすことを意識していました。

これって、なかなか難しいです。やはり日本人と話している方が楽なんですよ。だから、日本人だけでコミュニティーができてしまって、「誰々が帰るから集まる」「誰々が誕生日だから集まる」で、ずっとその日本人コミュニティーに入ってしまう留学生を多く見てきました。最初から気をつけないと、ずるずるとなってしまいます。世界で成長したくて成功したいのであれば、そこは気をつけるべきかなと思います。

グローバルで、IT人材で、日本と世界を橋渡しできる人材が絶対必要。

廣瀬さんポジショニングマップをつくって、どこに穴が空いていて、これからどの人材が必要とされるかと考えると、グローバルで、IT人材で、日本と世界を橋渡しできる人材が絶対必要なんですね。橋渡しできる様になるには一回現地に振りきらなければいけない。つまり現地化するということです。そうして腹割って話せるような現地の仲間をつくらないと、現地の日本人とばかりとつるんでいては、橋渡しはできないです。

エイミー:廣瀬さんご自身は、グローバル、英語、橋渡しできる人材に始まり、どういったスキルを意識して磨いてこられたんですか?

廣瀬さんITの技術、英語コミュニケーション、財務の知識は必要だと思っていたので、それらをずっと勉強してきました。

エイミー:大学の学部で、ですか?

廣瀬さん:大学では「国際学経済」と「コンピューターサイエンス」を勉強したんですけど、最初「国際学経済」で卒業したんですね。先に仕事が決まってしまったので、早く働きたくてしょうがなかったんです。なので一度卒業してから、また大学に入ってマイクロソフトでエンジニアとして働きながら、夜の18から22時でコンピューターサイエンスを勉強しました。

エイミー:へええ、夜学ですか!それって海外だと結構多いですか?

廣瀬さん:そうですね。海外だと仕事しながら夜学で勉強するのは多いですね。コンピューターサイエンスの後は、中国語を勉強したりもしていました。

日本の10倍の人口をもつ中国。そのトップは圧倒的。

廣瀬さん:10年弱アメリカで働いた後、マイクロソフトの開発センターの立ち上げで上海に赴任したんですね。立ち上げに赴任したメンバーは4人で、僕以外のメンバーはみんな中華系アメリカ人でした。みんなは中国語がペラペラだったんですが、僕は一応6か月は中国語を勉強したものの、ほとんどできなくて。仕事中は英語だったので問題はなかったんですが、タクシーに乗ったり、買い物に行ったりと生活面は中国語をつかって現地化するようにしていました。

そのときも日本人とつるまないようにしたので、最初の一年間はずっと日本語しゃべらない状態だったんです。そうすると日本人なのに日本語が変になってしまって(笑)そこから徐々に日本人と2、3人とは情報交換し始めました。

エイミー:上海ではどんな生活を過ごされたんですか?

廣瀬さん:平日は10〜22時まで働いて、そこから飲みに行って1.2時に寝るみたいなことをずっとしていました。結構みんな遊び好きで、新しいバーができると行く、みたいな感じでした。週末は中国中の有名大学に行って300人ほど学生を集めて、そこで「ぜひマイクロソフトに入社してください」とスピーチをして入社試験をしていました。1日目に筆記テストをして、そこから20人に選んで次の日に面接すると。大体300人のうち最終的には3人くらいを採用することをずっとやっていました。

エイミー:それを毎週ですか!言ってみたら、ほぼお仕事ですね!

廣瀬さん:そうですね。でも僕は仕事が好きなので全然苦ではなかったですね。ITも好きだし、新しいテクノロジーもすごく好きですし・・それに人を育てるのが好きなんです。もちろん水をあげて育たなかったら、やっぱり面白くないので。優秀な人を育てるのが楽しいですね。特に中国人は絶対数が違って、日本の10倍の人口じゃないですか。中国のトップはものすごく優秀で、ものすごい勢いで吸収してくれるんですね。それがすごく楽しかったですね。当時、僕の部下は80人くらいいたんですけど、世界中でみんなものすごく成功しています。

それを2年ほど続けて、開発センターは200人くらいの規模になったんですね。その時に「そろそろ独立しようかなあ」と思って何人かにそのことを話していたら、その話を聞きつけたヘッドハンダーに誘われて。それで、中国のIT関連の会社に転職しました。その会社がニューヨークで上場して、次はヨーロッパを開拓していく、ということでコンサルチームの立ち上げを任されたんですね。それで、僕一人でヨーロッパに行ってヨーロッパでのマーケット開拓をする、ということをしました。

エイミー:お一人でですか!またもや「0から1」ですね。

廣瀬さん:その昔から立ち上げだとか、0から1にするようなことが好きなんです。それが楽しくてしょうがなくて。仕事だとか遊びだとか混ざっているんですけど、そういったことをずっとやってきました。

つづき!「インタビューVol.5 廣瀬肇氏 キャリア編2」はコチラ

【Vol.5-2 BuzzElement CEO 廣瀬肇氏 キャリア編】アジアのプレゼンス、教育、人脈を息子たちに与えたいし、自分もここで勝負をしてみたいと思った。

高校のときに決めた目標・夢が「アメリカ、中国、ヨーロッパで働く」だったんです。でも高校生のときは海外で働くには「HISで働けばいいのかな〜」くらいのイメージで、全然わかっていなかったんですね。でもビジョンがあれば「HOW」をつくりだすことができるし、その「HOW」をどんどん変えていける。ビジョンがあったことによって僕の場合はITとグローバルができればどこでも働けるというのがわかりました。

BuzzElement CEO  廣瀬肇氏  キャリア編2 より

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