退屈に感じたエリート生活、自ら手をあげ香港赴任、そして周囲の反対を押し切っての独立。

 【Vol.1-1 和僑会創設者 筒井修氏 キャリア編】

MYGOALインタビュー和僑会創設者筒井修_香港で活躍する日本人インタビュー

アジア、世界の金融地といわれ、世界中から起業家があつまる香港。しかし、30年前は、香港返還に関する問題で、日本のマスコミも「香港の未来はない」と大きく報道したほどで、多くの香港人も自国から逃げ出て行きました。そんな時代に、ひとり香港の成長を見据え、自ら香港赴任を希望し、ゼロから起業家精神で道を切り開いていった筒井修氏

多くの事業や投資の成功を重ね、成功者としてはもちろん、その自身の起業家としての経験から海外で起業している日本人たちが助け合う会「和僑会」を設立され、世界中で活躍しようとする日本人起業家の「師匠」として、多くの起業家の目標になっていらっしゃる方です。

MYGOAL初インタビュー!筒井さんのキャリアについて、そして私たち学生にむけてアツい言葉をたくさんいただいたので、ぜひ読んでください!!

《和僑会創設者 筒井修氏 インタビュー記事一覧》

  1. キャリア編 退屈に感じたエリート生活、自ら手をあげ香港赴任、そして周囲の反対を押し切っての独立。←今ココ 
  2. 学生にむけて編 常識とは過去の大衆がつくったもの。世の中を変えていくのは、いつの時代も非常識者

貧しかった学生時代、夜間の定時制高校に通い、勉学の面白さに目覚める

エイミー :どのような学生時代を過ごされたのですか?

筒井氏 : 私が学生の時は、戦後の時代ですので、今の豊かな日本とは環境が全く違いまして。今の若いみなさんは全く想像できないと思うのですが、生きるのに必死だった時代だったんですね。私自身も貧しい生活を過ごしました。贅沢なんてできなかったんですよ。トンカツなんて贅沢なものを食べたのは、中学校に入ってからです。「こんなに美味しいものがあるのか!」と、初めて食べた時は本当に感動しました。

中学校を卒業してからは、5年間工場に勤め、毎日忙しく働きました。工場勤めと並行して、夜間の定時制高校に通い始め、そこで勉強の面白さに目覚めたんです。「昼間から勉強ができたら・・こんな幸せなことはないだろうに・・」と、学ぶことへの情熱はどんどん増していったんですね。

工場勤めと勉学を両立させて、大学に進学することができました。大学でも学ぶことへの情熱が冷めることはありませんでした。学ぶことは本当に面白かったですね。大学では上位の成績を取り続けることができたので、就職は大学推薦で名鉄に入社しました。名鉄への入社を親も周りの人もすごく喜んでくれて、とても嬉しかったことを覚えています。

退屈に感じたエリート生活、自ら手をあげ香港赴任、そして周囲の反対を押し切っての独立

エイミー :名鉄に入社されて、誰もが羨む生活を過ごされていたと思うんです。会社を辞めて起業するという道は、終身雇用の考えが根強い当時の日本では考えにくい選択なんじゃないかな・・と。どういった流れで起業されたのですか?

筒井さん : 企業に入るとですね、学生のときに仕事と夜間学校を両立させたことや、大学で一生懸命勉強したことなど、そういった以前ほどの頑張りを発揮する環境がなかったんです。仕事がつまらないと感じるようになったんですね。このまま会社に勤め「仕事がつまらない」安定した人生を送るのか、それとも独立して「仕事を楽しむ」冒険する人生を送るのか、40歳を直前に考えるようになりました。

エイミー : そこで独立、起業の道へと進まれたのですか?

筒井さん : いえ、そのとき出した結論は「会社の中で海外新規事業を進める」という道でした。家庭を大事にしたかったので、会社内で新しいことに挑戦するというリスクの低い道を選んだのです。社内で海外事業を発案し、それが通って1984年に単身で香港に来ました。

エイミー : 1984年・・ですと香港がまさに混乱しているときで、日本企業はそんなに進出していなかったと思うのですが・・

筒井さん : そうなんです。まさに真の力が試される環境でしたね。当時の香港には、日本企業はほとんど進出しておらず、そのため日本人駐在員もいないので日本人ネットワークはないも同然でした。会社も初の香港進出だったので、会社のツテもあるわけではなく本当にすべてがゼロからのスタートでした。

僕は、会社の新規事業立上げで赴任しましたが「自分の事業を立ち上げに来たんだ」と独立している気持ちでいました。すべて自分の裁量で泥臭く事業を進めていきました。貿易を行ったり、不動産を買ったり、名鉄観光のバスを香港で走らせたり・・と本当にいろんなことをやりましたね。嬉しいことに順調に事業は進んでいっていたんです。

しかし1992年にバブルが崩壊し、それに伴って名鉄が海外事業を撤退することを決定したんですね。会社から「香港の事業をやめ、日本に戻るように」と通達を受けたんです。

エイミー:え? 香港の事業は順調に進んでいたのに、「撤退しろ」となったんですか?

筒井さん:そういうものなんですよ(笑)。会社の言う通りに日本に戻れば、高い役職も用意されていて、何不自由ない生活が保障されていました。しかし、僕は元々起業する思いで香港に赴任した身ですから、これまで手がけてきた事業を手放すことは絶対にありえませんでした。

それで僕は名鉄をやめて、この自ら築き上げた香港事業をそのままもらうかたちで独立したんです。会社の同僚からは「日本に帰ってこないなんて、頭がおかしい」と言われてしまいましたが、僕はサラリーマン時代に給料をもらいながら起業の準備をさせてもらったようなものなので、名鉄には本当に感謝しています。

あの世にいくときはハダカひとつだ、そのとき自分はこの世界に何を残していけるのか

エイミー:その後は独立されて、どういった経緯で「和僑会」を創立されたのですか?

筒井さん:独立した後、40、50歳は一生懸命お金のために働いてきました。60歳になったとき、ふと考えたんですね。「80歳で寿命がきたら、あと20年の命だ」と。そして「あの世にいくときは、ハダカひとつだ」と悟りました。そのとき「自分は何をこの世界に残していけるのだろう」と考えました。

不動産をいくつか買って、お金をどんどん増やすこともできる。しかしお金じゃないと。それよりも香港に赴任したときの、情熱を持って、海外に挑んだ自分。そのときの苦労を思い出して、自分の起業家としての経験から、海外で起業しようとする若い起業家のために何か先輩として何か残していけることがあると思ったのが「和僑会」の始まりです。

エイミー:日本人の「和」の心を持って、お互いに支えあう会「和僑会」・・ものすごいスピード感で、世界中に和僑会が拡大しているように感じます。

筒井さん:今年で「和僑会」は設立11年目を迎えます。香港で設立された「和僑会」は、今や世界中で事務所をもつほど大きくなりました。昨年2015年11月には和僑会10周年記念の会が、ベトナムのホーチミンにて開催され、世界中の和僑が500人も集まりました。

世界中に広がる和僑会

エイミー:筒井さんの夢をお聞かせください!

筒井さん世界に夢や希望を抱き、飛んでいく若者のために、和僑会が100年200年・・と続き、つながっていくことを願っています。海外に出ていった和僑が、ビジネスをするにあたって少しでもリスクがないように、先輩から教えをもらう会。和僑同士がお互いに助け合う会。若い和僑が、より可能性を広げれるような会として、和僑会が世界各地に発展していくことを願っています。

つづき

【Vol.1-2 和僑会創設者 筒井修氏 学生にむけて編】常識とは過去の大衆がつくったもの。世の中を変えていくのは、いつの時代も非常識者。

世の中はとんでもないスピードで進歩しています。ですから常識にとらわれないでください。常識とは、過去のもの、過去の大衆がつくったものです。常識に違和感を感じて、それを表現すると叩かれるのが日本の世の中だと思います。しかし、このことを忘れないでください。いつの時代も非常識者が、世の中を変えていったのです。

和僑会創設者 筒井修氏 学生にむけて編より

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