マレーシアに飛行機が降り着いた時「あ、ここだな」と感じた。「なんで私今までここにいなかったんだろう」「ここで生きていこう」と決めた。

【Vol.2-1 女性起業家 木村希氏 キャリア編】

希さん写真

【インタビューVol.2-1 女性起業家 木村希氏 キャリア編】

MYGOAL 第2回目インタビューは、女性起業家 木村希氏。大学卒業後、マレーシアで屋内型プレイグラウンド「Jkids」、マレーシア初のファミリーカラオケ「Jparty」、子供向けフォトスタジオ「Jphoto」を設立、経営されてきた若干27歳の女性起業家。現在はベビービジネスをスタートされ、子育てと並行して、新たに店舗展開されていらっしゃいます。

その鋭いビジネスセンスだけではなく、希さんの考え方・生き方をぜひ知っていただきたいです。「やりたいことがない・・」と悩む方、心に響くものが必ずあるはずです!

希さんのキャリアについて、そして私たち学生にむけてのアツい言葉をたくさんいただいたので、ぜひ読んでください!!

《女性起業家 木村希氏 インタビュー記事一覧》

臨床心理士になって、将来的には故郷の人々のケアができるように。

エイミー:どんな学生時代を過ごされたのですか?

希さん:秋田生まれの仙台育ちで、東北の田舎で生まれ育ちました。親戚の中でパスポート持ってる人はほとんどいないし、私自身も海外に出るなんて考えたこともなく、大学は臨床心理士を目指して心理学を専攻しました

エイミー:臨床心理士・・ですか。なぜ臨床心理士を目指されたのですか?

希さん:秋田の自殺率が高いということで、臨床心理士になって将来は故郷の人たちのケアができるようにと思ったからです。大学では心理学を専攻して、一年生で基礎を勉強し始めて。でも臨床心理士の資格を取るには、学部を卒業してから院に進んで、実務経験を積んで、それから国家資格が得られる・・と、とにかく道のりが長いことを知ったんですね。金銭的に難しかったこともあり、臨床心理士の道は無理かなと。

田舎の閉鎖的な環境が嫌だ。もうここにいたくないと思った。

希さん:それに当時、アルバイトを7つ掛け持ちしていて、大学にいく暇がなくなっちゃって(笑)バイトは貯金のためというより、趣味ですね。空いている時間があるのがもともとダメで、大学生の時はそれが顕著でした。今より働いていたから、お金も今よりあったくらい(笑)

そんな風に学生生活を過ごしているうちに、ちょっとプライベートでごたごたして。当時、私が住んでいたのは山形だったんですが、コミュニティが狭く、噂も広がって、そんな閉鎖的な環境が嫌でもうここにいたくないと思ったし、ちょうどその時、周りが就職活動を始めだして・・なんだかみんなと同じ格好をすることに抵抗があったんです。

マレーシアがどこにあるのか知らなかった。暖かいところだったらどこでもいいと思っていた。

希さん誰も私のことを知らないところで、1から出直したいと思いました。そのとき掛け持ちしていたバイトの1つがビジネスホテルのレセプションで、それが結構楽しかったんですね。あと私東北の人間なので「暖かいところに一度住んでみたいなあ」という憧れもあって。暖かくて、国外で、ホテルの仕事ができたらいいなと。

ネットで検索したら、アジアのホテルインターンシップを斡旋する会社を見つけました。そこに早速登録した初日に紹介されたのがマレーシアのサウジャナホテルというところ。私マレーシアがどこにあるのかも知らなかったんですが、暖かいところだったらどこでもいいと思っていたので「じゃあそこで。」と、1ヶ月後にマレーシアに飛びました。それがちょうど大学4年生の後期です。

エイミー:すごい決断力と行動力ですね・・!

マレーシアに飛行機が降り着いた時「あ、ここだ」と感じた。

希さん:マレーシアに来てみて、飛行機のタラップを踏んだ瞬間、「あ、ここだ」って感じたんです。メディア向けっぽい感じですけど、本当に(笑)。

エイミー:ああ!それ、希さんが特集された記事で読みました!!

希さん:はは(笑)本当に降り立った瞬間に「なんで私、今までここにいなかったんだろう」と思って。それで、そのときに「ここで生きていこう」と決めたんです。

それからインターンを始めて。インターン先のサウジャナホテルは、日系企業の工場エリアが近く、その企業の人たちがよく泊まる5つ星ホテルで、私は主にその日本人VIPの対応をしていました。といってもこれが楽な仕事で・・そのホテルで働いている日本人は私だけだったので、同僚はみんなマレーシア人。仕事でつかうのは日本語だし、日本人ゲストとおしゃべりしているだけで仕事しているように見えるから(笑)たしかに仕事は楽しかったけど、広がりがないなと思いました。ゲストサービスはゲストサービス以上にはなれないな、って。でもインターン後も、ずっとマレーシアで生きていくつもりだったので、インターンをしながら自分の売り込みを常にしていました。

マレーシアで生きていくには自分でビジネスをするしかない。

希さん:でも私自身、スキルがあったわけでもない、ただの女子大生で・・いろんな日系企業から営業職に誘われたりしたけど、そもそも私は就活が嫌でマレーシアに逃げてきたこともあり、日系企業で働くのはないなと。かといって外資系で働く英語力もないなと。

だから、マレーシアで生きていくには自分でビジネスをするしかないとわかったんです。そこからアピールを変えました。この国で事業を立ち上げたいと思っているって。

それからすぐに、「マレーシアで一緒に起業しよう」といってくれた方が現れました。その方が今のビジネスパートナーで、中国でのビジネスを長くやっていた方でした。中国は一人っ子政策のせいか、ひとりの子どもにかける時間、お金、愛情の使い方が半端なく、そのため中国って、キッズビジネス、特にプレイグランドがすごく発達しているんです。私もそのあと上海に何回も行っているからわかるんですが、本当にプレイグラウンドがたくさんあって、切磋琢磨しないと生き残れないから、すごいクオリティのいいものができているんですね。

マレーシア人の話を聞いていて、みんな困っていたことがあった。

希さん:当時、私はマレーシアでどローカルな生活をしていました。その頃マレーシアにプレイグランドはほとんどなくて、あったとしてもジャングルをテーマにしたようなちょっと薄暗くて、隠れ家的なプレイグランドで、ターゲットが絞れていませんでした。そこで遊ぶ子は、大きい子が多く、小さい子どもを持つ親にとっては「ちょっと不安だ」っていう話を聞いていて。かといって外は暑いし、雨も降るし、誘拐もないことはないこの国だから「外で子どもを遊ばせられない」とみんな困っていたんです。

つまりマレーシアで遊び場が足りていない、という実情を私は知っていて、パートナーは中国には豊富な遊具の工場と、参考にすべきプレイグランドがあることを知っていた。だから一緒にプレイグランドをマレーシアでやりましょう、ということになったんです。

その時、私はまだ大学生だったので、一旦日本に帰って卒論を書いて卒業、そのあとすぐ日本の某プレイグランドで研修をしてから、マレーシアに帰ってきました。

大学を卒業して3カ月後にはプレイグラウンド「Jkids」1店舗目をオープン、4年が経った今8店舗になりました。その間に写真館「Jphoto」や、日本人向けのファミリーカラオケボックス「Jparty」の立ち上げに関わったりもしてきました。

プレイグランド「Jkids」は、もちろんこれからも出店を続けていきます。でも今、マレーシアではショッピングモールが乱立していることもあり、出店場所の選定が難しいんです。全店舗が黒字なわけではないし、なかなか大変で。それに店舗は基本的にローカルで回せるので、3年も経ってくると私自身やることがなくなってきたんですよね。

メイドインジャパンをもってくるのは、そう簡単に真似できるビジネスじゃない。

エイミー:なるほど・・しくみができあがったんですね。

希さん:そうなんです。雇っているスタッフだけで店は回せちゃうので、私がいてもしょうがないなあと。そんな時に妊娠が発覚して、それがきっかけでベビービジネスを始めました。

日本に貿易や仕入れをするパートナーがいて、おむつや哺乳瓶、離乳食、洗剤など、メイドインジャパングッズを取り扱う店をやっています。去年からExpoに出たり、ショッピングモールで催事をしたり、実際に店を出したのが今年の1月、5月に2店舗目をオープンしました。

日本の製品をマレーシアに持ってくるというのは、当然日本とのコネクションが必要で、こっちのローカルにはそう簡単に真似できるビジネスではないんですね。そして需要がある。

また中古のベビー用品のレンタル・中古買取・販売ビジネスを始めたり、あと日本では有名な“おむつケーキ”をマレーシアで流行らせたいなと思っています。

つづき

【Vol.2-2 女性起業家 木村希氏 学生にむけて編】やりたいこととかなくてもいいと思うの。自分がやりたいことじゃなくて、住みたい場所、自分がここにいたら幸せって場所を見つけてほしい。

みんな私が大学時代から起業の夢や情熱を持っていた、ビジョンがあった、って期待している、でも実際には違うの。私だって将来の目標とか確固たるものなんてなかった。何のスキルも経験も持たずマレーシアに来て、ただマレーシアが好きだっていう気持ちだけでずっとここにいる。

女性起業家 木村希氏 学生にむけて編より

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